アトレークラブTOP -> アトレーの歴史menu -> ハイゼットの歴史menu

4代目 ハイゼット

前期 後期
ハイゼット・ライトバン(前期) ハイゼット・ライトバン(後期)

 4代目ハイゼット(S38、S40)登場

  1972年2月 〜 1981年8月 (360cc S38)
  1976年10月 〜 1981年3月 (550cc S40)

 このモデルはハイゼットの歴史の中では非常に長生きをしたモデルです。
 S38が1972年2月から81年8月まで、S40が76年10月から81年3月まで生産されました。
 1976年に軽自動車の規格改正後は550ccエンジンに変更されたものと、軽免許対応の為に排ガス規制を乗りきり360ccエンジンのモデルが並売されていた。意外にも360cc版は初代アトレーの世代でも並売されるくらい長期生産された。550cc版は先に生産終了

 トラックとバンの2タイプのボディが存在し、パネルバンもデビューしている。
 フロントマスクはフロントウィンドウから繋がるブラックマスクとなり(後のアトレーやハイゼットisでも採用)、3代目の角目から丸目のヘッドライトに変更された。ナンバープレートが小さいサイズから大型化(黄色地に黒字)された時にフロントデザインが変更されている。
 細かいMCとしてはフロント方向指示器と車幅灯が一緒だったのを分離したり、550ccモデルの車名バッチがHijet550となっている。

 バンのボディは両側にリアスライドドアを軽バンで初採用し、跳ね上げ式のバックドアを採用したことにより、人気を得ることになる。

 トラックは一方開きと三方開きの2つを用意していた。一方開きはサイドスカートがついていたので、横から見た時かっこよかった。三方開きは便利だけど、後ろから見た時の見た目がイマイチだった。

トラック3方向開き
1方向開き 3方向開き

バン
 ミゼットII開発にあたりこのS38に660ccエンジンを載せて走行実験を行ったそうです。
 後から出た4代目ハイゼット55ワイドと並売されていたのですが、後からでた55ワイドよりもよりも長生きだったんですねえ・・・。6代目ハイゼット(S80〜83)はガソリンモデルが約8年生産後、EVモデルは継続生産され約9年間生産されていますが、それよりも長生き。
 縦4灯のホンダTN-Vトラックやステップバンが出たのも1972年・・・。1999年のバモスといい、ホンダのモデルはタイミングの良いライバルやねえ。(笑)
 軽キャブバンの売上No1は先代に引き続きハイゼットが一番だった。

 550ccと360ccの見分け方法は意外な場所にありました。
方法その1 後期

最大積載量が300kgが360cc
最大積載量が350kgが550cc
 この方法は、左の後期モデルしか通用しません。
 前期は360ccでも350kg積でした。
方法その2 エンブレム

フロントとリアの車名にハイゼット550と書いてあれば550cc
 ただし最終モデルは550が省かれてしまったので、あまり意味なし。
ちょっと小さいか
方法その3 バンパー形状でチェック。
550cc版のフロント及びリアバンパーはやや前後に大きくなっている。バンは全長が10cm、トラックは5cm拡大されているのであった。(フェリーで損やなあ・・・。)
左側が360cc、右側が550cc
360cc550cc バンの場合はリアのバックランプの形状で一目で判別可能 左側が360cc、右側が550cc
360cc550cc

ボディーカラーバリエーション
トラックホワイトブルー360cc初期?
バンホワイト360cc初期?360cc550cc後期
顔バリエーション
前期初期顔1972年登場時の顔フロントウィンカーとスモールランプが一体型である。
前期顔フロントウィンカーとスモールランプが分離、フロントウォッシャーノズルが1本になる。(言われても気付く人は少ないだろう・・・。)
後期顔ナンバープレート大型化以降の顔。1974年以降の顔らしい。リアのナンバープレートサイズも大型化されている。1979年以降のスーパーデラックスはウインドウモールがメッキタイプとなっている。
後期550顔11977年以降に追加されたモデル。Hijetのバッチに550の文字がつくくらい。
後期550顔21979年のマイナーチェンジ。Hijetのバッチの550の文字がなくなった。スーパーデラックスはウインドウモールがメッキタイプとなっている。
宣伝

(みささみまさかさんコメント)

ダイハツハイゼット

ボンネット・トラックであった初代ハイゼットから数え、4代目となるモデル。
写真は初期型、かなり後まで2サイクルエンジンを積んでおり(最後までかもしれない)、スズキとはまた違った2サイクルエンジン音を響かせていたのが懐かしい。
ボディカラーは、白(クリーム色?)・緑色・芥子色(黄色?)の3色。
私のあやふやな記憶では水色もあった様に思うのだが、この後のモデルと記憶が混同しているのかも知れず、全く見かけない。
生産期間が長く、当地はダイハツの地元という事もあり、草ヒロではもちろん今でも現役のものを結構見かける。

私は子供の頃からこのハイゼットの顔があまり好きではなく、いまでも拒否反応が残っている。改めて考えてみると、インカ文明の土偶を連想させる「吊り目」デザインが嫌いなんだろう。ダイハツ大好き少年だった私も、さすがにこの目つきは怖かったらしい。
余談になるが剛力サンバーシリーズもその顔付きが嫌いであった、おまけにサンバーはしばしばバックファイアーを起こすので、臆病な私はその顔を見かけると身構えた物である。(?)
当時の私のひいきは比較的おとなしい顔つきのスズキキャリィと、家で使っていた間抜けな顔つきのポーターキャブであった。小さい頃からホント好みにうるさい、ヘンチクリンなガキであったのである。
この型のハイゼットはやはり最後まで2サイクルエンジン、しかも排気量は360ccのままだった様です。
更に550cc新規格モデル発売後も併売されていた由で、軽自動車限定免許を持つ人を対象に昭和56年まで販売継続されていました。
更に更に新規格モデルが登場するまでのつなぎとして、旧規格車に550ccエンジンを載せた物も有りと、軽自動車混乱期のモデルにふさわしく、変化に富んだ波乱のモデルであった様です。

ハイゼット、いろいろ  (みささみまさかさんのHPより転載)

ハイゼット、再び・・・  (みささみまさかさんのHPより転載)

 
押しても戻らない場合はブラウザのBackをご使用ください。
検索ページ等で直接来られた方はここをクリックしてください。

このページの文章画像等を無断で転載、引用はご遠慮願います。
Copyright(C) アトレークラブ All Rights Reserved.